漆黒の夢
江戸川乱歩『芋虫』(創元推理文庫など)
未発表原稿(昭和63年9月頃脱稿)

『時子は、母屋にいとまを告げて、もう薄暗くなった、雑草のしげるにまかせ、荒れはてた広い庭を、彼女たち夫婦の住まいである離れ座敷の方へ歩きながら、いましがたも、母屋の主人の予備少将から言われた、いつものきまりきった褒め言葉を、まことに変てこな気持で、彼女のいちばん嫌いな茄子の鴫焼を、ぐりゃりと噛んだあとの味で、思い出していた。』
僕の、いわゆる「乱歩体験」というのはこの文章が始まりだった。江戸川乱歩の芋虫―― 一般には『少年探偵団』から入っていく乱歩の世界に大人向け作品から入っていった僕は、かなり屈折した読書歴を持っていたのであるが、当時小学五年生だった僕には強烈すぎたものだったのである。
この小説は、文庫本にして二十三頁という短編ではあるが、その内容にはかなり深いものがある。作者自身が記した『自註自解』から引用すると、
「……しかし私はこの小説を左翼イディオロギーとして書いたわけではない。この作は極端な苦痛と、快楽と、惨劇とを書こうとしたもので、人間にひそむ獣性のみにくさあと、怖さと、物のあわれともいうべきものが主題であった。……」
ということであるが、僕にはその他に「人が生きるということの哀しさ」をも感じていた。僕が、当時にそれを感じ得たということは、十一歳の若年にして、早くも乱歩の描く「漆黒の夢」の中の住民となっていたのかもしれない。
この物語は、『自註自解』で乱歩が述べたように、発表直後に「左翼方面から称賛の手紙が幾通もき」て、「反戦小説としてなかなか効果的だ。今後もああいうイディオロギーのあるものを書けと」言われたといういわく付きの作品である。
読んだことのない人のために簡単に内容を紹介すると、戦争で生命は取り止めたものの両手足を失い、まるで「芋虫」のような無残な姿になった上に視覚と触覚以外の五感を全て失ってしまった須永中尉と、始めは貞節な妻であったが、しだいに「芋虫」となった亭主を「肉ゴマ」と形容し、その肉体をもてあそぶようになった時子との間に起きた悲劇を描いたものである。
その、戦争でこれ以上傷付けようもないほど傷付けられた須永中尉の姿が「反戦イディオロギーの作」と見られたのだろうが、僕はそうは思わなかった。
「大きな黄色の芋虫」いや「奇怪な、畸形な肉ゴマ」となった須永中尉の姿を読み取るにつれ、「同じ一個の人間として、彼は何を考えて、何のために生きているのだろう。そして、また五体満足な僕たちは何を考えて、何のために生きているのだろう」という考えを持つようになったのである。そして「生きるということは、何と悲しみを帯びたことなのだろうか」と十七歳の今まで自問自答し続けているのである。
生きていることの哀しみ――おそらく長い生涯の中で幾度か思わざるを得ないことを、僕は、この乱歩の「芋虫」から感じ得ることができた。しかし、その答えはまだ出ていない。その哀しみを考える前に、何を考え、何のために生きているのかを考えなければならないからである。
閑話休題。また、いつもの堂々巡りになってしまったが、ここで僕が云いたいのは、この十一歳の時に「乱歩体験」したことが、僕に人生を考えさせてくれるきっかけになったのだ、ということなのである。
ある人は、「芋虫」を読んで食が通らなくなった、と云った。「巨大な肉ゴマ」になった須永中尉の気持ち悪さと、時子のサディズム的行為に関する嫌悪感からだそうだ。特に時子が須永中尉の上に馬乗りになり、その両眼を両手でもってつぶしてしまう描写は、確かに目を覆いたい場面ではある。僕自身も、初めて読んだときは、一瞬、嫌悪を覚えた。しかし、よく考えてみると、そこの描写も、場面も、「人生」を表した部分なのである。
またもや僕は乱歩の「漆黒の夢」の中に引きずり込まれてしまった。
最後に、「ユルス」とだけ残して井戸の中に落ちていく須永中尉と、闇夜に木の枯枝を這っている一匹の芋虫がその先端にきてポトリと暗黒に底知れず落ちて行く光景を幻に描く時子の姿を見るにつけ、僕は、果たして自ら死を選んだ須永中尉と、後に残った時子のどちらが幸せなのだろうと考え、その結論も保留したまま現在に至っているのである。そして、僕は今もって「人生とは、何と哀しいものなのだろう」と同じ自問自答を続けているのである。漆黒の夢を見ながら。(了)
というわけで、高校時代に書いた雑文を発見したので、ここに載せてみます。それにしても……う~ん。発表しなくてよかったような気がする(苦笑)。本当は、高校の文芸誌に載せる原稿のつもりで書いたんですが……(^^;;; そんなこんなで、自問自答はいまだに続いております(笑)。





